『スピード・バイブス・パンチライン』を読んだ
Published At: 2024/8/3 20:00:00

『スピード・バイブス・パンチライン』を読んだ

今回読んだのはこの本。

https://artespublishing.com/news/svp-0831bb/

本のあらすじなど

日常会話で使うフレーズが短縮化され、スピーディーになり、複数人いる場ではキャラ付けされるようになった。 ハイコンテクスト化され、コミュニケーションにゲーム性が持ち込まれた。 このゲームに勝たないとバズとアテンションを獲得できない。この面で普通の会話が陰謀論をはじめとした「過剰な物語」が勝ってしまうことを避けたいという意識で本書は書かれている。 (「優先座席に優先して座るべき人が座れるように、譲らない人が座る前に譲れる自分が座る」ような理屈だ。)

そして、このゲームの勝者とも言えるラップと漫才から「誰が」「何を」「どのように」語り、「如何なるキャラクターを生み出すか」(そして受け入れられるか)というのを見ていき、「人を動かすしゃべり」について観察している。 最終的に、ゲームに勝つには「スピード・バイブス・パンチライン」で高い技術が必要であることを確認し、これらが求められてしまう現代社会に絶望している。

あとがきにもある通り、サブタイトルの「勝つためのしゃべり論」は筆者のアイロニーで、<勝つ>という価値観からの脱却を望んでいる。 オルタナティブだね〜。

読み始めた理由

たぶん https://x.com/toku1toku2toku3/status/1817581046722072792 を見て本書を知った。

自分は最近ピーナッツくんにハマっている。彼が提供している楽曲について、いま自分が持っていない視点で改めて評価できるのはきっと楽しい気がした。そこでHIP-HOPについて自分なりにとっかかりになる本が読みたかった。

また、仕事でお笑い芸人さんと関わることが増えていた。しかし、お笑いについてはあまりに知らなすぎる。 この一冊でHIP-HOPとお笑い芸人の両方を表面的にさらえるかなぁと思って読み始めた。

ハイツ友の会が好きだったので彼女たちについて書かれていることが気になったのも大きい。 そして解散が本当に悲しい。

感想

勝つためのしゃべりについては興味がなかったし、購入後に気づいたサブタイトルだった。 ウゲッと思いながら読み始めたが、あとがきにも書かれている通り「勝つ」というところに主軸が置かれておらず読みやすかった。

本書は2部構成で書かれている。この記事では特に第一部の「スピード・バイブス・パンチライン」についての感想を述べる。 第一部は3つの章(+ インタビュー)に分かれていて、それぞれ「スピード」「バイブス」「パンチライン」というタイトルだった。 芸人の話についてはM-1での例が多く挙げられていてにわかな私にも聴き馴染みがあるものが多い。

たとえば「スピード」章では

  1. M-1 2007年ごろのキンコンの漫才のスピード感(トークの速さ)
  2. M-1 2015年の和牛の『間』
  3. M-1 2010年のスリムクラブの『沈黙』

が挙げられている。どれもネタを文字で見るだけで映像がありありと思い出される。

ラップに関しては自分が本当に無知で、わかりやすさなどはわからないけど、SEEDAのようなレジェンドから、AwitchやWatsonのような最近のスターまで語られている。また文中ではvalkneeや田島ハルコまで言及されている。(この2人がどのくらいメジャーなのかはよくわからないけど、自分も知っているので徐々に名が広がっている?)

この辺で、自分が面白いなあと感じたところを挙げていく。

ちゃんみなのインタビューの引用

名前がつけられていない感情もたくさんあって。(中略)私の場合は、その感情に音楽として名前をつけることもできます。

これかっこよすぎる。自分は多少プログラミングに覚えがある。 自分がやりたいと思ったことをプログラムを動かせる環境であればある程度実現できる。 しかし、自分の感情を表現する方法はほぼ全く持っていない。 断片的に文章で表現できるかもしれないけど、自信を持って言えるほどのものではない。事実とその時その時の考えを列挙してるにすきず、感情を表現できている気はしない。

また、ちゃんみなは「いろんな感情の色が混じっている」とも語る。パレットに色を出して、意図して筆を動かせるのは本当にかっこいい。

ハートで漫才していない

ハートで漫才・ラップすることが如何に難しいことか!

私は遊びで色々挑戦してみていて、お笑いもラップもちょっと試してみたことがある。 自分の感情を高い鮮度で表現するというのは難しい。

ポエトリーラップをしてみたとき、その瞬間の感情の鮮度は高いものが出せている気がする。(技巧的かはさておき) しかし、訓練するたびにその鮮度は下がる。なんだか嘘くさくなる。 これらに耐えうるリアルな体験や価値観とリリックをラッパーは作り、最適なフロウを乗せているのは積み重ねによるものですね。

漫才もボケに対しての反応は練習するほど下がるだろう。舞台の上で、初めてそのボケを受けたような反応を出すための訓練をしているのだろう。 お笑いを裏の努力を察しながら鑑賞するのはナンセンス極まりないけど、尊敬してしまう。

「ハートで漫才していない」というのはM-1でこれらが追いつかなかったころのキングコングについての中田カウスの評だった。

頭の中で曲が流れる

筆者は楽曲の「間」についての解説の中で、日本人は歌に「間」があると曲ではなく詩に感じやすいと述べている。 それは日本人が五七五を教わるなかで培われるとしている。

この間についての解説を読む中で頭の中で馴染みがある曲が流れ出す。 ずっと「GO / ヤギ・ハイレグ」の冒頭が流れていた。

上がってく ゆっくりと 吐き出してる煙を

他にも「ループの遠心力」とういう節では繰り返しが生み出す効果が書かれている。 そこで自分は

毎日 繰り返すよミュージック

からはじまる「Drippin' Life / ピーナッツくん」が思い出された。 めちゃめちゃいい曲で、Blood Bag Brain Bombの最後でも歌われている。思い出すだけで泣けてくる。

この曲では↑からはじまるサビが繰り返されるが、その間の曲の展開としては「進んでいくピーナッツくん」→「その中で見えてくる壁」→「壁を乗り越えていく」という構造になっている。 同じhookを歌う上での感情の変化がライブでは特に感じさせられていて、この技法に類型化できることに気付かされた。

おわりに

当初期待していた「ピーナッツくんの曲をいま自分が持っていない視点で改めて評価できる」というところは、まだまだ自分の感じ足りないところがあるだろう。 また、他の楽曲を深ぼるうえで、いい足がかりを得たと思っているので紹介された楽曲は改めて聞く必要を感じている。

総じていい本でした。お笑い芸人やラッパーの「しゃべり」に興味がある人にはおすすめです。

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